眼鏡橋のかかる中島川のほとりにほっとする明かりがあります。ドアの向こうには温かい笑顔。いつも新鮮な食材をご用意して、皆様のお越しをお待ちしております。Piacevole(ピアチェーボレ)とは 「愉快な、快適な、心地よい」 と言う意味のイタリア語です。長崎の食材を中心としたお料理をお楽しみください。
オーナーシェフ
実は、僕の料理の原点は、母の家庭料理でもなくイタリアンでもなく、実は「インド」なんです(笑)。叔母がインドの方と結婚して、長崎市内でインド料理屋をやっていたんですね。それで、子どもの頃からそのお店に行くのが楽しくて、楽しくて・・・。厨房に入ると棚には見たこともない沢山の香辛料が並んでました。今ほどまちに香辛料が揃ってはいなかった時代ですから、本当に見ているだけで楽しかった。僕にとってそのお店は、子どもの頃の宝島であり、秘密基地であり、化学実験室でもあったんですね。材料を刻む、炒める、煮る・・・・。その一つ一つの行程が面白く、「材料」が「料理」として変化していく様が、本当に面白かったですね。反面、中学校・高校は野球少年で、運動は大好きでした。よくお客様から「なんでそんなに筋肉質の腕なんですか?」と聞かれます(笑)。鍋を振るからだろうと思っているお客様もいらっしゃるようですが、全然違います。これは少年時代の筋肉が未だに保たれているんです。
親の勧めで東京の大学に進学したものの、やはり料理人の夢が捨てきれない。それで、大学を3年で中退し、料理人への道を進みました。でも、元々は料理の道を目指していたワケではなく(笑)、ヨーロッパ文化に憧れていただけなんです。そこから、ヨーロッパに行くなら何か手段がなければならないと思い、料理の道を目指したんですね。名門の辻調理師専門学校を終了し、その研修で行った先がなんとフランスの三つ星レストラン!辻専門学校としても初めてその三つ星レストランへ研修生を送り込むとあって、僕自身大変緊張しました。半年間の語学研修の後、その三ツ星レストランで働きましたが、仕事のやり方が違うし、当然ですが最初は全く店の同僚に相手にもされませんでした。その上日本人というか、アジア人自体が大変珍しく、同僚に「(サムライの)刀は持っているか?忍者は親切なのか?」なんて聞かれたくらいでした(笑)。
フランスでの思い出と言っても、本当に仕事場のレストランと宿泊場所との往復だけで、大した思い出はありません。強いて言うなら「ぬるいワインと乾燥したパンと危ないチーズ」ですね(笑)。宿泊先には冷蔵庫もなかったので、食材の保存が出来ず、生活自体本当に苦労しました。その苦労を思うと、今は本当に楽しい毎日です。
帰国して、まずあちこちの店で働きました。一流レストランばかりと言うわけではないのですが、大きなホテルでも働きました。その中で自分の目指す道を見つけていきました。辻調理師専門学校で助手をしていた頃、大先輩の作ったイタリア料理が忘れられず、それをきっかけにイタリア料理に絞ろうと、一念発起してイタリアに修行に行くことに決めました。仕事の合間にイタリア語を勉強し、イタリア語検定3級を取りました(笑)。右も左も分からなかった20代での渡仏と違い、イタリアでは若い子たちに野菜の切り方から肉の焼き方まで教えられるくらい話せるようになりました。エスプレッソばかり飲んで休憩好きな彼らをよく怒っていたせいで、イタリア語が上手になったのかも(笑)。
イタリア人は、家族との絆がとても強いと感じました。男は全員マザコンですね(笑)。イタリア人の友人の家庭に呼ばれて家族と一緒によく食事をしたのですが、本当にアットホームでお客をもてなす気持ちで溢れていました。とても楽しい時間を過ごしました。でも!イタリアでの一番の思い出は入院したこと!(笑)不注意にも5㎏入りのオリーブオイルの缶を足の上に落してしまい、足を負傷。1か月の入院を余儀なくされました。そこでまたイタリア人の国民性を見ましたね。本当に周りの人が世話好きで、用もないのに次から次へ僕のベッドに様子を見に来るんですよ。ですから、入院中はちっともさびしくなかったです。入院したら食事だけが楽しみとよく言うでしょ。本当にそうでしたね。入院中に食べた病院食なんですが、最初はあんまり口にあわず、イマイチに感じていたんですが、1カ月もすると不思議と美味しく感じられてきて、食事がものすごく楽しみになってきたんですね。そして病院で食べたリゾット。これは日本のお粥ではないか!とハッと気づき、これは帰国して改めて日本食にも挑戦しなければならないと、考えました。
帰国して一時期は長崎では老舗のレストランでも働いたことがあります。また、調理師学校で講師として働くようになり、人に教える喜びも見つけ、先生を目指そうと考えたこともあります。しかし、ある時、知人が「せっかく教えるのなら自分の店を持ち、オーナーシェフとして教えた方がより人がちゃんと聞いてくれるよ」と、言葉をかけてくれたんです。その言葉に背中を押されて、店を持とうと志すようになりました。オープンまでは、思っていた以上に本当に大変で、準備には随分時間をかけました。味にも素材にももちろんこだわりましたし、可能な限り県産品を使うように心がけています。長崎の食材はとても優秀で、意識しなくても結果使っているのは県産品だった・・・・ということは、よくあります。
ピアチェーボレが地元の方々から愛されていることを、とても感じます。本当に感謝しています。オープン当初は、眼鏡橋にも近いことから県外のお客様も多いかもしれないと考えていたのですが、蓋を開けてみるとほとんどが県内のお客様。それもリピーターの方がとても多いです。ピアチェーボレは、イタリアンレストランと言うよりは「長崎イタリアンレストラン」なんですね。味つけはヨーロッパのまんまと言うよりは、地元の人が好む味に調整してあります。昔ながらの長崎の味付けは、出汁が利いててちょっと甘めの味付けです。お客様とはもちろんですが、材料の仕入れにも人と人とのつながりを強く感じます。良い食材を仕入れていると、その生産者の方からまた良い食材を作っている方を紹介して頂く。そんな良い連鎖で、いい食材が自然と集まってきます。今では多くの生産者との方とも交流ができてきて、直接畑にもお邪魔しています。生産者の方々もみなさんこだわり派ばかりで、会うたびに食材談議に話がつきません。昨年野菜ソムリエの資格を取ったこともあり、ますます野菜の魅力に取りつかれています。
もっと野菜のおいしさを伝えたいですね。長崎の野菜は通年で作っている品種が豊富で、美味しいものが沢山あります。また暖流と寒流がぶつかる海域を持つ長崎県は、海産物も同様に美味しいものが沢山あります。例えば対馬。ピアチェーボレでは直接生産者の方と取引を行い、美味しい食材を安定して使っています。新鮮で安全で美味しい長崎の食材をぜひイタリアンで楽しんで頂きたいと思います。県外からのお客様にも、新鮮な魚介類を味わって頂く手段として、イタリアンはお勧めです。いつもお刺身ばかりで、時には何か違うものを召し上がりたいと言う方には特にお勧めですね。また、ピアチェーボレの味についても皆さんにもっと知って頂きたいので、料理教室を充実させていきたいと思っております。入院を体験したことからも、介護食やカロリーを抑えた美味しいイタリアンなどのレシピ研究なども考えています。「美味しかった」「また行きたい」と言ってくださるお客様の笑顔が、僕にとっての最高のご馳走です。これからもピアチェーボレを宜しくお願いいたします。